スリランカの宝石カット職人

ニランタが来た☆

ニランタは私達が長年お世話になっているスリランカの宝石のカット職人、ジャヤンタの甥であり弟子のカット職人で、ひょんなことからこのたび日本に来ることになりました☆

時は10年ほど前にさかのぼり、、
当時 スリランカと日本の宝石の橋渡しをしていたスリランカ人宝石商の ニファールが心臓発作で突然亡くなり、彼の宝石のカットをしていたジャヤンタやニランタも長年の仲間を失った悲しみと共に日本への輸出の道も失ったばかりの頃でした。

ニファールが亡くなってまだ数日しか経たない頃に初めてジャヤンタに会った時、机の上にニファールの写真が置いてあったのが印象的でした。

画像の右下にニファールの写真

沢山の宝石が並ぶジャヤンタの机

どんどんニファールの写真が宝石でうもれていく、、

ニファールに送るはずだった宝石や頼まれてカットするはずだった原石など、ニファールの話をしながらジャヤンタはいろんな宝石を見せてくれました。ジャヤンタと私たち、亡くなってしまったニファールと一緒に宝石をみていたような不思議な感覚でした。

ジャヤンタとニファールは同年代で長年の仲間だったらしく、仕事も遊びも共に過ごし 一緒に戦ってきた友人だったと、悲しみの目を浮かべながらもいろんな思い出話をしてくれました。
ニファールの一族が日本の宝石業者達と古くから深い繋がりがあったということや、ニファール自身が素晴らしい目をもった宝石商だったことなど色々と教えてもらいました。

この美しいものを見極める目をもったニファールが一番気に入っていたカッターが、今回日本にやってきたニランタです。

ニランタは、叔父のジャヤンタの影響で幼い頃から宝石のカットに興味を持ち、ライセンスも取得した心から宝石のカットを愛するカッターです。

実は今回、ニランタは日本に来て 日本のとある宝石業者さんの元でカッターとして働くつもりで来日しました。
しかしあれから年月が経ち、現状が変わってしまっている日本側の宝石業者さんとの話はなかなか上手くいかず、、
カッターとして働くことはできない。と断られてしまったのです。。

そのすぐ後に私たちの方に連絡がありました。
話を聞くと、ニランタは無謀に会いに行ったわけではなく、ちゃんと話を通して、カッターとして働けるという話がまとまってから日本にやってきたのですが、その話がいろんな人を通して連絡しなければいけなくて、うまく話がつながっていなかった部分があったようなのです。。
やってみないとわからない的な持ち前のチャレンジ精神もあったのかもしれませんが、そうなってしまったことも きっと何かの転機ではと思い

と、、、とりあえず うちくる〜??

ということで、ニランタ きました!

とりあえず浄化しとけ!の勢いでマイナスイオンを浴びまくるニランタ

神社も行ってみた☆


で、これからどうするかとか、ニランタが本当にやりたいことは何かとか色々話をしました。

今のスリランカは物価が2倍、3倍と上昇していて、この状況が続くと普通に生活すること、息子たちを学校に通わせることも困難になってくることなどを考えるとスリランカに帰ることを考えてはおらず、日本で稼いで家族に仕送りをするということが大前提だということがわかりました。

関東に義兄弟がいてその人の会社で働くこともできるのですが、ニランタは やっぱり宝石が好きで、宝石のカット、宝石に関わる仕事がしたいと、、

今後はニランタ自身が日本で会社を立ち上げるか、スリランカにあるニランタの会社を日本に持ってくるかの方法で日本で宝石のカット、リカット、宝石の販売等をニランタ自身の会社でやってくことが一番望ましいことだという結果になりました。

ニランタは50歳。
『宝石の仕事をしに日本に来た、私は諦めない。』と
家族のために家族と離れて働きに出てきた父親の決断を感じました。

私達にとっては突然のことだったのですがいろいろ考えた末、、、、

私達がニランタにカットマシーンを買ってみることにしました☆

うまくいくのかも、どうなるかも今はまだわかりませんが

ニランタの新しい人生にわくわく♡

今 スリランカでニランタが使っていたのと同じタイプのカットマシーンを発注しているところです☆

まだまだ時間はかかりそうですが、ニランタの日本でのカッター&宝石商としての道のりをこちらで応援していきたいと思いますので、ぜひ温かな目で見守っていただけたら幸いに思います^ ^

頑張れニランタ☆

2014年のニランタと私  in スリランカ
あの時初めてニランタと会ったスリランカのビーチ

追記 : 2022/ 11月
カットマシーンが届きました☆

これをニランタに届けていろいろとカットしてもらおうと思います☆